KRC OB Cue 1992 第5章

第5章 昭和43年~46年卒業生

あってもなくてもいいような水や空気、しかし、一度なくなるとたちまち死んでしまう。 そういった存在が”放送部”だと思う。 たとえば、集会などの時に諸君の御耳に御奉仕している。 それが普通に行なわれているので、もしそこに”放送部”の存在がなかったら……まず、秩序すらないでしょう。 いわゆる大衆伝達がなくなったとでも言いましょうか。

生意気なことを申しましたが、こうした”放送部”の存在を理解してもらいたいのです。 そこで”放送部”の歴史を述べてみますと、およそ10年前に始まります。 そのころはアンプなど、いい状態のはありませんでした。 ましてトランジスタなどはまだまだでした。 その頃の先輩にはマスコミ方面に就職した人もあるが、そういう先輩たちのおかげで現在の”放送部”の存在がある。

ところで現在はと申しますと、いろいろと改善されています。 そして長時間の講演などにも、じゅうぶん持ちこたえられるようになっています。 部屋は、校内でも特に目立つ所にありますし、それに階段の下になっているので、様々な改良をしてきました。 これは、他のクラブではあまりやっていないことですが、我々は夏休みに作るのを楽しみにもしています。 また我々の活動は、奉仕活動に近く運動会、予餞会などにも活躍しています。 しかし、こればかりが我々”放送部”の仕事ではありません。 昼食時の校内放送もクラブ活動の一つです。 近ごろは聴取率もかなり上がっていると思います。 その制作方法を簡単に述べてみましょう。 まず、2週間ほど前に番組を審議、その後、放送1週間前までに制作し、録音テープに収録し、編集し、放送を待ちます。 そして当日になり、職員室の放送室から流します。 こうして、皆さんに昼休みので、憩いの時間を提供しているのです。 (これらについて、質問、御意見、またリクエストなどがありましたら、リクエスト箱なり、直接部室までお願いします。)

以上のほか、微弱ではありますが、アマチュア無線クラブ(俗にハムといいますが)もあります。 昨年の文化祭、1昨年のマラソンの時に活躍していたのを覚えている方もあるでしょう。 別に総体などの速報もやっています。

これら校内活動だけでなく、他校訪問をしたり、放送コンテストなどにも出場しています。 今年は、わずか2点差で総合優勝をのがしました。

このように”放送部”は、水や空気のように、こまめに働くアリのように、縁の下の力持ちといった格好で活動しています。 今後もますます発展したいと思っています。

部長:永井先生、副部長:向井先生

理事:中村、副理事:岡崎

アナウンサー・ミクサー:小野、客野、荒川、伊藤、 柴野、 中原、布袋


TM 奥様お手をどうぞ

Q 皆さん今日は。もう3月、あっというまに1年が過ぎてしまいました。この1年間には色々な事があったことでしょう。KRC

皆さんこれを何だと思いますか。 昼食時に流す番組の一こまです。 一見何でもないように思われますが、これは原稿を作るまで。 いざテープに取り皆さんの耳に達するまでには随分多くの苦労があるものです。 10分間番組でも録音するのに要する時間は2時間位です。 又レコードを選んだり、原稿を書くには、1週間の準備期間を必要とします。 (あんな番組でもそんなに時間がかかるのか、なんておっしゃらないで下さい)その1週間の苦労がたった10分のうちに流れてしまうのです。 だから私達は皆さんが一生懸命聞いて、厳しい批判をして下さると何よりもうれしく感じます。 一生懸命作った番組がワイワイガヤガヤの中で流されている時は私達にとっていと心もとなしの状態です。 でもそんな中で静かに聞いて下さる人、その人達が私達の番組制作の励みになっています。 どうか皆さん、この切ない気持ち分かってね!!(分かったら静かに聞いてくれョー!!)

つづいてこの番組を作る部員を紹介しましょう。

ミクサー 3年:加藤、橋本・2年:男子1名 女子3名・1年:男子2名

アナウンサー 3年:土居、中村、長井、藤井、藤原・2年:女子6名・1年:男子1名、女子8名

これを見ても男子の占める割合がとても低いことがお分かりいただけると思います。 これが我が放送部の最大の悩みであり謎である。(どうして謎かって?)お答しよう。 バッチリかわいい女の子の集りなのになぜに男子部員がふえないんだろう? 不思議だ!我が北高の男子諸君、こぞって我が北高放送部へ来たれ!!

両手に花どころのさわぎじゃない……。

でも無責任なことばかり言ってもクラブの仕事はやっていけません。 皆さんにもお分かりのように朝礼、文化祭、予餞会、集会などいろいろな学校行事の運営にあたっています。 うまくいって当り前、失敗などは許されません。 しかしこの苦労は皆さんにお分かりいただきにくいかもしれません。 北高の影の力、放送部はそんな存在かもしれません。


「みなさん今日は。12月も半ばを過ぎました。今年の冬は全国的に暖かいそうですが、この1週間めっきり寒くなってきた今日この頃、いかがおすごしでしょうか。……」

軽快な音楽にのって毎日昼食時に流される番組…。 たった10分の番組ですが、私達放送部員にとってこれはかけがえのない宝物のようなものです。 討議、原稿作り、レコード選び、そして録音…。 最低3日間はかかります。 それも放課後の残り少ない限られた時間でやってしまわなければならないのです。 慎重に慎重を重ね、リハーサル、取り直し…。 ですからやっと番組になって流れ、みなさんが一生懸命聞いてくださるのを見る時、私たちは最大の喜びを感じるのです。

次に今年度の放送部の跡をたどってみたいと思います。 6月30日、県放送コンテスト朗読部門で、3年生の村上さんが1位、同じく3年生の十亀さんが3位に入賞しました。 9月27日体育大会。 わが放送部の一番活気に満ちていた時期だったと思います。 すべて終了した時の感激は一生忘れないことでしょう。 そして10月18・19日の文化祭。 私たちはこの2日間の、クイズ、リクエスト、会場めぐりに全勢力を傾けました。 結果はどうあれ何も思い残すことはありません。

以上1年間の三大行事の跡をたどってみました。 これでみなさんが少しでも放送部を理解してくだされば嬉しく思います。 最後に、後輩達へ、「私たちが去った後も、いつまでも放送部のために頑張ってください。」

※原文のまま掲載しています。(部員の名前は、苗字のみに修正しています。)

卒業生(50音順・敬称略)

昭和43年(1968年) 加藤、土居、中村、長井、橋本、藤井、藤原

昭和44年(1969年) 今井、越智、戒田、重松、十亀、松友、新居田、藤本、堀本、村上

昭和45年(1970年) 一色、黒田、佐伯、関谷、瀬戸、都築、長井、中村、森

当時の主な出来事

昭和43年(1968年) 三億円事件発生

昭和44年(1969年) アポロ11号月面着陸・東名高速道路が全面開通

昭和45年(1970年) 大阪万国博覧会開催