KRC OB Cue 1992 第10章

第10章 昭和63年~平成4年卒業生

みなさんは”放送部の活動は昼の放送だけ”と思っているのではないでしょうか。 ところが放送部はこんな活動をしているのです。

(1) NHK杯全国高校放送コンテスト-放送部員にとって一番大きな活動。 毎年6月に行われるこのコンテストのために番組制作に頑張っている。 また今年は全国大会にも出場した。 <テレビ番組部門>優良「ふれあいから交わりへ」 <アナウンス部門>優秀 門屋さん

(2) 体育大会-装飾・仮装のテープの録音、当日の場内アナウンスを受けもつ。 今年は延期したおかげで余裕がもてた。

(3) 文化祭-体育大会のビデオ上映、カラオケ大会、フォークコンサートなどおおいにもりあがった4時間半だった。テーマ”EXCITING MUSIC !”

(4)  昼の放送-リクエスト・特集・バラエティー・インタビュー・ニュース・DJ・朗読などの番組を昼食時に放送している。 たった15分間ではあるが、みんなが聞いて楽しい番組をつくるように心がけている。

<3年生部員> 高須賀、井上、土居、冨士田、豊田、門屋、嶋崎、田所、宮内


今年のアナウンスの原稿の題材には”卒業記念の藤棚”を選びました。 アナウンス、という作業の中で自分のパーソナリティーを表現するのはとても難しいと思うのだけれど、昨年のように単なる伝達、注意事項の羅列に終わらないように、少しでも自分を原稿の中に出したいと思ってこれを選んだのです。 原稿の性質をかえたなら、アナウンスもかえていかなければならないので、1年の時からの固くて冷たい読み方を今だにひきずっていた私は、どうにかしなくてはいけないとあせりました。 6月に行われるNHK県大会に向けての練習を始めた3月の事です。 それから3ヶ月。 さらに、全国大会までの1ヶ月余り、誰にも負けないくらい、また、去年の自分にも負けないくらい一生懸命練習したと思います。

5月に校内審査というのがあり、アナウンス・朗読両部門の部員の中からそれぞれ2名ずつ選出されて6月の県大会に出場します。 県大会の予選で両部門90名余りから25名が決勝へ進み、その中の上位6名が全国大会に出場できることになっています。 北高からは決勝へ3名進出し、2名が入賞しました。 残念ながら全国大会へは私1人でしたが、みんなよくがんばってくれてよかったと思います。

昨年は初出場にもかかわらず全国大会へ出場することができ、今年が初めての経験ではなかったので、勝手がわかっているだけ少しは…と自分でも思っていたのですが、かえって緊張してしまった面もありました。 それに昨年は「勉強をしに行く」という言い訳があったのだけれど、今年は準決勝に残らなくては自分自身納得いかない、という気持ちだったので余計に緊張しました。

準々決勝は、7月25日、東京・お茶の水で行われました。 形式的な県大会とは違って、パフォーマンスを織り込んだアナウンスも飛び出し、圧倒される思いでした。 でもこんな時、自分がこれだと思ってやってきたアナウンスがどんなに下手に感じられても、最後まで自分のアナウンスをしなくてはなりません。 少し速くなったことを除けば、自分らしいアナウンスができたと思います。

準決勝進出者の発表は翌朝でした。 苦労して名前の掲示してある所までたどりついたものの、怖くて見ることができませんでした。 ちょうど隣でどこかの県の人が名簿にチェックを始めたので、それを横目で見ていることにしました。 「…次エントリーナンバー23、次27、次…」赤いペンで私のエントリーナンバー27がチェックされたのを見て、今度は背伸びしながら自分の目で自分の名前を見つけました。 うれしかったです。 それからすぐ、そこのホールで準決勝審査がありました。 私は、自分の目標が達成できたことがうれしかったので、最後は、私にとっての最後のアナウンスは、思いきり楽しんでやれました。 今まで2年間半やってきた中で、この時のアナウンスほど解放的な気持ちで表現できたことはありませんでした。

翌日、最終選考に残った決勝進出者10名の発表がありました。 私の名前はなかったことを顧問として同伴してくださった伊賀上先生に教えてもらいました。 けれども、2年間半の間ずっと嫌いだったアナウンスも、その時には別れるのが寂しいようなそんな感じがしました。 とてもいい思い出になったと思います。(門屋さん)


「放送部はいつも何をしているのか。」とよく尋ねられますが、私たちは毎年こんな活動をしているのです。

(1) NHK杯全校高校放送コンテスト-毎年6月に行われるこのコンテストは、放送部員にとって最も重要な行事です。 今年は、アナウンス部門で1名が全国大会に出場しました。 <アナウンス部門>優良 松本さん

(2) 体育大会-装飾・仮装のテープの録音、当日の場内アナウンスを受け持ちます。 今年は仮装がグループ別となり、テープの録音本数が減ったので、少し余裕がもてました。

(3) 文化祭-フォークコンサート、体育大会・甲子園のビデオ上映、カラオケ大会などを行いました。 準備期間が体育大会が終わってからの1週間しかありませんでしたが、当日は立ち見が出るほど盛り上がった。 テーマ”MUSIC ISLAND”

(4) 昼の放送-放送部の主な活動で、リクエスト・特集・インタビュー・朗読・ニュース・DJなどの番組を昼食時に流しています。 たった15分間の番組ですが、みんなが聞いて楽しめるような番組をつくるよう心がけています。

<3年生部員> 仲岡、三木、渡辺、松本


私たち放送部の毎日の活動といえば、お昼の番組です。 曜日によって、リクエスト・インタビュー・朗読・おしゃべりなど音楽を中心とした番組を昼食時に流しています。

アナウンサーが原稿を書いて、ミキサーの人と協力して番組をつくります。 昼食時の放送は15分間ですが、いざ原稿を書いてみると5分や10分の番組になったりします。 「15分間しゃべる」ということはなかなか大変なことなのです。

部活動の中でも重要な行事は「NHK杯全国高校放送コンテスト」です。 これは毎年6月に行われます。 運動部でいえば総体のようなものです。 毎日の番組作りがこのコンテストへとつながり、よい成績を残せたら、と思っています。

他に、学校行事として体育大会などの場内アナウンス、仮装、装飾のテープ録音があります。 このように、私たちの部活動は時に学校行事に関わるものを含んでいます。 行事がスムーズに運営されるよう、気を使うこともしばしばです。

時には表舞台に立ち、時には縁の下の力持ちになって、私たち放送部は、こんな活動をしています。

<3年生部員> 岩本、安川


今年度の放送部の主な活動

1 NHK杯全国放送コンテスト-毎年6月に行われるこのコンテストは、運動部でいえば総体のようなものでしょう。 日々の努力の結果が、このコンテストでの成績となって表われてきます。 今年は左のような結果となりました。 <ラジオ番組・自由部門>優良 「おヒマならノッてよね!!」 <アナウンス部門>優良 鵜久森さん(全国大会出場) 次のコンテストにはテレビ番組も出品の予定

2 昼の校内放送-毎日昼休に15分くらいの番組を放送しています。 ロックからクラッシックまで幅広い音楽とアナウンサーのおしゃべり、朗読など、みなさんに楽しいお昼のひとときを…ということで、部員一同がんばっています。

3 体育大会-各グループの装飾・仮装のテープ制作、そして当日は場内放送を担当しました。

4 文化祭-「百聞は一見にしかず」と題して行われた松山城のビデオ上映、カラオケ大会、特にカラオケ大会は廊下まで人があふれるほどの大盛況でした。 (マイクハナサーズとは誰のこと?)こんなふうに放送部はいろいろなことをしています。少しでも興味のあるあなた!私たちと一緒に活動してみませんか?

<部長>中野先生、清水先生

<3年生部員> 鵜久森、富田、伊東、篠崎、船田、松岡、丸山、宮脇


今年度の放送部の主な活動

○NHK杯全国高校放送コンテスト-1年間を通じ、放送部にとって最も大きな行事。 3年生を中心に、全部員が一丸となって取り組みました。 今年の結果は次のとおりです。 <ラジオ部門・課題部門>優良 「食べる!?食べない!?」(全国大会出場) <朗読部門>優良 難波江さん(全国大会出場) <アナウンス部門>優良 藤本さん [現在、来年度のコンテストを目指し努力しています。]

○昼の校内放送-毎日昼休みに15分くらいの番組を放送しています。 ヒットチャートや新譜など、内容は盛りだくさん。 皆さんからのリクエストも待っています。

○体育大会-短い日数で、各グループの装飾・仮装のテープの制作、そして当日の場内放送。いろいろと大変でした。

○文化祭-「年齢90」の今年、その北高の歩みを振り返るためのビデオ「NINETY YEARS」の上映や、野球応援大会・体育大会のビデオ上映。 それに、毎年恒例のカラオケ大会など、例年になく大盛況でした。

<部長>清水先生、中野先生

<3年生部員> 中岡、森岡、加幡、森口、松原、平野、近藤、岡田、矢野、難波江、乗松


全国の壁の厚さを知る

ラジオ番組課題部門「食べる!?食べない!?」 朗読部門 河盛好蔵著「人とつき合う法」より

昨年の先輩方の残した成績は、かなりのプレッシャーだったのかもしれない。 ラジオ番組とアナウンス部門の全国大会出場。 今年もぜひ…という放送部OBの方々の期待が、特に個人部門に出場する者にとっては重荷になっていたようである。

今年の番組企画は、例年通りラジオ番組を2本、そして北高90周年という好題材を生かそうとテレビ番組を1本、ということだった。 校内審査を経て、県大会用の提出作品を制作していったのだが、「ギリギリになるまではやらない」という妙なポリシー(あるいは伝統)を持つ私達が、大会参加のための提出物をすべて整えたのは、締切前日の放課後だった。 そのために、間に合わないからと今治まで車で持っていってくださった清水先生には、大変ご迷惑をおかけしてしまった。 本当にギリギリまでかかって焦りながら作り上げた番組には、物足りない点や悔いの残る点が多かったけれども、部員全員の精一杯の努力が実ったのか、文頭に挙げた番組が入選を果たした。 全国大会で、準決勝に残ることは出来なかったが、3年生にとってはうれしい思い出である。

また、私も拾い上げられたように入選してしまい、全国大会に挑戦することになった。 最初で最後の機会である。 県大会から一月半ほどしかなく、いろんな人に聴いてもらったり、原稿を読んでの感想を書いてもらったりして参考にした。 何度も作品全体を読み直して、自分の原稿の解釈に努め、十分とは言えないが自分が出来るだけの事はやったと思う。 全国から集まった高校生の朗読を聴いていると、作品の選び方、原稿のとり方が大切なポイントであることがわかった。 ここぞという聞かせ所の選び方は人それぞれで、なかなかおもしろかった。 審査は準々決勝から行われる。 ここで落ちたらこれっきりだ-なるべく力まないように、普段と変わらないつもりでマイクに挑んだ。 驚くほど落ちついた自分がそこにいて、今までで一番満足した朗読をしてくれた、と思う。 翌日、準決勝進出者が発表され、私の名はそこには無かった。 やっぱりな、と思った。 私の精一杯の力が全国レベルに達していなかっただけなのだが、松山に帰る途中、今ごろ準決勝やってるんだろうな、と考えたら少し悲しかった。 3年生になって、部のみんなのおかげで良い経験をさせてもらい、感謝している。

後輩のみんなには、常に新しい視点からの番組制作を心がけて、協力して活動していってもらいたいと思う。 今後の活躍を祈っている。

最後に、番組制作や原稿制作の際にお世話になりました先生方、ありがとうございました。


今年度の放送部の主な活動

○NHK杯全国放送コンテスト-毎年6月に行われるこのコンテストは、運動部にとっての総体のようなもの。 今までの活動の全てを託します。 [ただ今、来年度のコンテストに向けて、努力の現在進行形。]

○昼の校内放送-毎日昼休みに15分くらいの番組を放送しています。 皆さんからのリクエストに答えたり、アーティスト特集をしたり、時にはアナウンサーのTalkを挟んだり、と決して退屈させない15分!

○体育大会-限られた短い期間で、各グループの装飾・仮装のテープ制作、そして当日は場内放送と、裏方から表舞台まで、一年間で一番忙しい行事でもあります。

○文化祭-『百聞は一見にしかず』と題されたテーマ通り、体育大会のビデオ上映、そして毎年恒例のカラオケ大会と、とにかく『来て、見て、感じて、わかる!』盛り上がりでした。

○高校総合文化祭-昨年度から新たに放送部門が取り入れられた高文祭。 まあ、新人戦といったところで、主に1年生が参加します。 初めての大きな大会で、度胸の試しどころ!?

☆先輩!KRCでの「思い出」を大切にしてください。

<部長>清水先生、中野先生、森先生

<3年生部員> 三谷、伊藤、時田、冨永、藤本、藤井

※原文のまま掲載しています。(部員の名前は、苗字のみに修正しています。)

卒業生(50音順・敬称略)

昭和63年(1988年) 仲岡、松本、三木、渡部

平成元年(1989年) 岩本、杉本、安川

平成2年(1990年) 伊東、鵜久森、篠崎、富田、船田、松岡、丸山、宮脇

平成3年(1991年) 岡田、加幡、近藤、中岡、難波江、乗松、平野、松原、森岡、森口、矢野

平成4年(1992年) 伊藤、時田、冨永、藤井、藤本、三谷

当時の主な出来事

昭和63年(1988年) 東京ドーム完成・瀬戸大橋開通

平成元年(1989年) 消費税実施

平成2年(1990年) 東西ドイツ統一